昭和四十一年八月七日 朝の御理解
信心に修行は付ものであると仰います。おかげを頂きたいとか、その願いが切であれば切である程やはり修行も云うなら水も漏らさん修行をさして貰わなければならん。
昨日久保山先生と話したことですけれども、今年は何十年振りかの暑さだと云われておりますが、その上御承知でございましょうが裏の一番風の来よったところに裏の方に家が建ちました。だから風が入るところが全然ないわけです。ですからお広前の暑さ御神前の暑さと云うのは座っただけで汗が出る。お広前を下がりますとね、下着がじゅっくりです。どう思うても今年は特別暑いから又裏の方に家が建ったと云うのではなくてですね、やはり神様が来年の夏は遅くともあちらに移ることが出来るだろう、広々とした所で何処からでも風が入って来るような大きなお広前で奉仕させて頂くことが出来るだろう次のおかげを下さるためのこれは最後の仕上げのような修行ですバイちゅうてから話したことです。
まあ不快指数とは本当に一時ばっかりもうどうにも出来んぐらい不快ですね。下着が汗で体にピッタリ付いてしまってから汗が流れ出しますと、ハハーン蒸し風呂ちゃこんなもんじゃろうと云うぐらいな、そしてもう本当に十二時に御広前に変わる頃には変わりたくないくらいになっております。これはもう本当です。ですからね、確かに私はそこんところを修行とさせて頂く。次のおかげを下さる為の仕上げの修行だと云う様な頂き方ですね。
修行と思うておることはそれは修行として頂かないけんと思うんですね。そう云いながら今ここに座らせて頂いてやはり修行にはひとつの元気な心、勇猛心と云うのがいるのですけれどもね、やはり出来るだけちょっとだけでも良いから楽をしたいと云う気持ちがそこにあるんです。
何時も私がここに座る前に冷たいおしぼりを持ってきてくれるんです。ところが今日は無いわけです。今日は神様が修行させて下さるなと思うけれども、どうして忘れたんじゃろうかと云う気持ちが先に立つんですけれども、今日はこういうところに一つ取り組みたいと私は思っております。
漠然と本当に次のおかげを頂く為の総仕上げですバイ、修行ですよと言いもしそれを本当に実感も致しますけれども、それよりももうちょっと修行がきつかろうごたると、どうして忘れたんじゃろうかとぼやっとしてからと云った様なものがその心の中に動いて来るですね。これではやはりスキッとした修行にならん。もう何にでもそうですけれども、やはりまけときまっしょと云うものがある。気持ちがいいです。物を買いに行ってからでも例えば秤を計るとき水平になったようなことよりかちいっと上にピッとはね上げるくらいにですね、ほんにわずかの事です。ちょっとすると気持ちが良いでしょうが。あそこは量りが良いと云うて信用が付きます。お店の修行でもそうです。これこれの修行をさせて頂きます。例えばあることを十日間なら十日間修行させて頂きます、それならせめて一日ぐらいは神様の方をまけときまっしょと云う様な信心が出来なければ駄目です。これは私の永い体験からそれを感じます。もうその十日が待ち遠しくてこたえられんと云う様なことでは本当の修行にはならんように思う。何処までも修行には元気な心、勇猛の心が必要です。しかも信心には修行は付きものなんですからおかげを頂きたいと願う心が切であればある程おかげを頂かなければならん。
今度のお広前皆さんも行ってご承知の様に何処からでも風が入って来る。ところがまあ云うならばこげなところどうしてこげな風に設計したじゃろうかと云うぐらいにですね、例えば私が御広前奉仕から下がってから昼から四時まで奉仕しておらなならん部屋なんです。ところがこの部屋だけが風が入らんのです。この頃から秋永先生が杉尾さんと現場当番の時でございましたが、先生の部屋だけがいよいよ暑かですバイち云わしゃった。私行かして頂いて分かるよち、そしたらおかげ頂いて杉尾さんのところのクーラーを持ってきて据えましょうと云うことになった。そうすると今度はあのお広前の中で一番涼しいと云うことになる。あれがどうでしょうかね、始めから風の入る部屋だったらとてもそんな事に気が付きません。又私が許しません。けれどもこれは、お供えですから仕方が無い。使ってないなら古いですけれども大変力のあるクーラーなんです。 二、三日前参りましたらクーラーが据わるところの基礎がちゃんと出来とりましたから、もういよいよ取り付けられるでしょう。思いもかけないところから思いもかけないおかげが頂けて来る。そこの部屋は大体冬は暖かい、夏は涼しいと云った様な風に造らなければいけんのですけれど、風の入るところが無い。一番涼しくなければならん部屋が一番暑いと云うのでクーラーをお供えしようかと云う様な気にもなればクーラーを取り付けましょうと云うことにもなって来るのでございます。
確かに神様はおかげを下さろうとする前には先ず私共の心を練って下さる。誰がこんな設計したじゃろうかと云うて私が腹かいとったらそういう事になってないかも知れません。ですから、おかげを下さる前には必ず神様がやっぱり修行を求め給う。
今年ここでは最後の夏でございましょうが、夏のここでの修行の仕上げにさせて下さる様に本当にわざわざ風を止められたそういう感じ。同時に今年は何十年振りの暑さというそういうものが重なってここで蒸し風呂に入ったような修行をさせて頂けると云う様なことがです、本当に有難いと云うところまでいかないけん。
ところが私の心の中にどうしてお絞りを持ってきてないじゃろうかと一生懸命捜しているところにですね、私の信心の修行の旺盛さと云うものが欠けて居ることを悟らして貰いお互い日常の中にです、修行と思いながらやっぱり苦しい修行と思いながらやっぱり情けない、修行と思いながら腹が立つと云う事では修行にならん。そういうところが私共の信心の隅々にです、まだあると思うんですね。どうぞ。